起業スイッチ

1ユーザーあたり月額500円で利用できる、中小企業向けのマーケティングソフトウェア「ちきゅう」を提供するちきゅう株式会社。代表の浅井氏は、「親戚にサラリーマンがほぼいない」という経営者一家に生まれ、幼少期から経営が身近にある環境で育ってきた。

特に老舗弁当メーカーの創業経営者である祖父の言葉は、今の浅井氏に大きな影響を与えている。

世代を超えて受け継がれる経営哲学を、最先端のスタートアップに落とし込まんとする浅井氏の挑戦について話を伺った。

浅井さん1-1-min

経営者一家に生まれ、4歳から帝王学を叩き込まれた

ー今回のインタビューでは浅井さんのルーツを伺いたいので、生い立ちから教えて頂けますか?

生まれは能登半島の先で、実家が「百楽荘」という旅館をやっていました。僕の両親が2代目で経営していました。

ー百楽荘、有名な旅館ですよね。家族構成はどのような?

兄弟は4人いて僕が2番目です。うち、親戚にほぼサラリーマンがいないんですよ。おじいちゃんが金沢の芝寿し※という弁当メーカーの創業経営者で、叔父さんが2代目で、今は従兄弟が3代目やっています。

※昭和33年(1958年)創業の老舗弁当メーカー。代表商品の笹の葉でくるんだ押し寿司「笹寿し」は北陸3県だけでも、年間1100万個以上を製造。

ー面白いですね。他にも経営者がいらっしゃるんですか?

はい。例えば母親の姉夫婦は、雑貨の製造や販売をやっています。

ーなるほど。経営者一家に生まれると、小さい頃から資金繰りのお話とかも、家族の会話に出てくるのでしょうか?

そうですね。芝寿しの創業経営者のおじいちゃんには、4歳から帝王学を叩き込まれました。僕たち兄弟を集めて「今日のプリントを配る。今日は三方良しについて教える!」とか。笑

ー三方良しを4歳に教えるんですか。笑

そうです。他にもレストランに行った時は「今日の会計はいくらだ?」って、お店の価格帯を踏まえてどのくらい食べたかを孫たちに予想させるんです。毎回おじいちゃんはピッタリ合っているんですよね。「俺の感覚すごいだろ」って言っていました。

ー普段の会話から経営感覚を養う訓練になっていたんですね。

そうですね。小さい頃からそういった感覚は養われていたかもしれません。

帝王学もそうですが、おじいちゃんは芝寿しの前に、洋服を売ったり塩を売ったりして、12回商売に失敗しているんです。48歳で始めた芝寿しが上手くいったので、諦めなければいつかは上手くいくというのを間近で見ていたのが、今思うと一番大きかったですね。

ーすごいですね。昔だと借金をして事業をして、潰れたら個人の保証になるじゃないですか、お店をやるとけっこう借金しますよね。次の事業を起こすどころじゃない気がしますけど。

地元に資金を援助してくれる、今でいうエンジェル投資家のような方がいたみたいです。この話もよく聞かされていて、その方のお墓参りは欠かすことなく行っていましたね。

ーなるほど。子供の頃から、事業を起こすためには投資が必要だとか、そういったエピソードも身近にあったんですね。

親も旅館をやっていましたからね。旅館は装置産業なので稼働率が高まって損益分岐点を超えるとすごく儲る、ただ当時は競争も激しかったので苦労しているのを見ていました。

資金繰りが大変そうで、両親もよくケンカをしていました。「社長になると資金繰りが大変なんだな。お金に追われるんだな・・・」と子供ながらに思っていました。

方やおじいちゃんは芝寿しで成功していたので、小学校に入る前くらいから「やるなら旅館じゃなくてお寿司屋さんにしよう、サービス業は辛いな」みたいなことは考えていました。笑

浅井さん1-2-min

一度はサラリーマンになるも、娘の死をきっかけに起業を決意

ーまさに経営の英才教育を受けていたんですね。小中高はどう過ごされていたんですか?

小学校では野球をやっていました。中学校では陸上をやって、高校ではテニスをやって・・・普通の少年でしたね。

エピソードとしては、中高は全寮制の父の母校に入りました。周りに経営者の子供も多かったですね。寮ではテレビとかドライヤーとか、電化製品全般が禁止なんです。もちろんゲームボーイも。なので自分たちで遊びを考え出したり、部活だけじゃなく、勉強もよくしていました。

ーなるほど。小中高では特に起業家の片鱗を見せなかったと。笑

そうですね。笑

ー大学では何をされていたんですか?

大学ではテニスサークルに入りました。あとサークルの宴会で友だちと芸をやっていたら、友だちに「一緒にお笑い大会に出ようぜ」と誘われて、お笑いのプロを目指している人たちが集まるサークルに入りました。一般のサークルで、周りはフリーターをしながらお笑いをやっていました。定期的にホールを借りてネタを披露する会があって、優勝したこともありましたね。

そうしたお笑いの関係もあってマスコミの仕事に興味が出てきたので、卒業後はADになりました。でもめちゃくちゃ忙しくて、編集に入ると3日徹夜とかで・・・彼女とも別れて・・・。

ーきついですね。

きついです。「これ50歳、60歳までやれる仕事じゃないな・・・」って思って、1年半で辞めてリクルートのFNX事業部というところに入りました。

将来、家業を継ぐことも頭にあったので、自分で商売をやるのであればまずは営業を学びたいと思って、大学の先輩や同期に話を聞いて、リクルートを選びました。

ーリクルートに入ってからはどうでしたか?

同時期に入った営業が30人くらいいて、すごい競争環境でしたが、その中では結構売りましたね。いずれ社長になるのであれば、サラリーマンの中では負けられないという思いがありました。

ーなるほど。リクルートに入る前後で、将来自分で事業をやるというのが頭にあったんですね。

ありました。

最終的にリクルートと子会社のネクスウェイで通算して12年くらいいましたが、当初の希望通り営業を学べたのも良かったですし、いろいろな事業を立ち上げたり、「New RING」という新規事業提案制度を使ったりして、リクルート流の新規事業の立ち上げ方を体験できたことは、今思うとすごく大きかったです。

営業ではどうやれば売れるのかを考えて、正攻法じゃないやり方も沢山試しました。目標は税金みたいなものなので、絶対に外したくないと思っていました。

ー目標は税金、良いマインドセットですね。他にリクルートで学んだことはありますか?

BtoCの事業をやっていた時がすごく苦しくて。アポも取れなくて、精神的にかなりきつかったです。その時に「プロダクトをちゃんと作らなければならない」ということはすごく感じました。

当時は売り方の工夫だけで進めようとしていたのですが、商品作りまで含めて事業戦略を立てないといけない・・・ターゲットは明確でしたが、ターゲットに対しての商品開発力が弱かったんです。

他にリスティング広告の代理事業もやりましたが、やはり代理店は薄利なので厳しいというのも感じました。リクルートは付加価値をつけて利益率を高めるからこそのあの給与体系ですが、代理業は粗利率の幅が決まってしまっていて、事業計画も何度も書き直しましたが、全然見えてきませんでしたね。

ー環境ごとにしっかりと学んできていますね。そんな学び多きリクルートを辞めて起業されたわけですが、どのような思いがあったのでしょう?

その頃に2人目の娘を亡くしたことが、起業する上で大きなきっかけになりました。娘は約3ヶ月ちょっとしか生きられなかったので、1日1日がすごく大切なんです。

当時は企画の通し方も分かってきて、上の方とも意思疎通ができて、仕事がしやすくなってきていたんですけど、娘の3ヶ月の人生を考えたら「俺、薄っ!」って。

1度きりの人生、娘の3ヶ月くらい毎日を生きたいなと思った時に、もっとヒリヒリする人生を歩もうと思って起業しました。

一度はサラリーマンになるも、親戚たちと同じく自身も起業家へと転身を決めた浅井氏。

幼き日に学んだ経営哲学と、リクルートで学んだ事業経験をもって、2014年にいよいよちきゅうをスタートさせた・・・。

-Part2に続く-

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