起業スイッチ

導入

2009年に設立後、納入業者との仕入れ単価の削減交渉を支援する「コスト改善プロジェクト」や、経営者向けのコーチングプログラム「すごい会議」等のコンサルティング事業を提供し、成長を続けるENERGIZE GROUP。

現在は20人に満たない少数精鋭のチームで、年間約10億円を売り上げる同社。今後は組織も拡大してBtoC領域にも注力、新たな挑戦を開始している。

一見、順風満帆に見えるENERGIZE GROUPだが、代表の生嶋氏はこれまで幾度となく苦難に直面し、その度に地べたを這いつくばるような覚悟で仕事と向き合ってきた。

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彼女に合わせて受験した大学で偶然経営と出会う

ーまずは生嶋さんの起業家としてのルーツからお伺いしたいのですが、幼少期のエピソードなどお聞かせ頂けますか?

うちは母が家とくっついた美容院を経営していたので、幼少期はずっとそこにいて。母がお客さんと相対しているのを見ていたり、お客さんが僕をあやしてくれたりっていう環境でした。

家族構成でいくと、姉が2人いて、僕は末っ子長男なので甘やかされるタイプだったんですけど、僕が生まれた時にバブルが弾けたので全く甘やかされなかったんですよ(笑)

それまでは夏休みや冬休みに様々な家族イベントがあったんですけど、ほぼ全て無くなりました。姉からは「お前が増えたせいでイベントが無くなった!」って言われて・・・そんなこと言われるもんだから、姉には絶対に負けたくなかったですね(笑)

ーなるほど(笑) 経営や商売は身近だったんですね。景気の影響を受けるとか、兄弟が増えたら家計に響くとか、そういうインプットも当時からあって。

ありましたね、あと私立はダメだとか。なので公立1本で勝負していました。

高校も電車に乗らずに、3年間片道45分かけて自転車で通いました。僕、超足早いですよ(笑)

ー当時はまだ将来起業しようとかは考えていなかったんですか?

全然考えていなかったですね。学生時代は野球ばかりやっていました。

高校3年生の時にも、志望する大学は当時付き合っていた彼女に合わせて、第1志望と第2志望を決めました。ところが彼女は第1志望に受かったんですけど、僕は落ちてしまって・・・第2志望の大学に入ったんです。

そしたら、そこがたまたま経営学科だったんです。

ー経営学科に行きたいという特別な思いがあったわけではないんですね。

はい。「彼女と同じ大学に行こう」というだけです(笑)

でもたまたま経営学科に入って、授業でサービスやビジネスの言語を覚え始めて・・・そしたら母が昔やっていたことと少しずつ紐づき始めたんです。

ーなるほど、凄く良いですね。学問として学ぶだけでなく置き換えるものがあったんですね。

そうです。それで面白くなってきて、大学では経営の勉強をしようと思いました。

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店長として任された店が失敗

ー経営の勉強をするにあたって、大学の授業以外で何かアクションはしたんですか?

「めちゃくちゃバイトしよう」って決めました。それで、家庭教師を4,5件掛け持ちして、居酒屋2軒、夜はバーで働きました。

元々経営の勉強が目的だったので、出来る限り店長に近い、お店を回す側に行きたかったんですけど、最初は下からなので一生懸命頑張って・・・最終的には居酒屋で店長になりました。

ーアルバイトが店長を任されるってすごいですね。

そうですね。それでちょっと調子に乗っていたんです。どんどん時給が上がっていって店長にもなったし、お店を回すことに関してはもう出来るなと・・・そしたら僕、そのお店を潰してしまったんです。儲らなくて。

売りとコストと利益がリアルに返ってきて、これまでの経験は、遊びみたいなものだったんだなと気づきました。ここでようやく経営を体験できたんです。

この体験があって「将来は経営を学べる仕事に就こう」と考えるようになりました。

ー経営を学ぶというのと、起業するというのは違ったんですか?ご自身で会社を立ち上げるという考えはなく?

起業は「やれたらいいな」とは思っていましたが、物凄く強い意思があったかというと、当時はまだそうではなかったんです。

一回お店を潰して、難しいということを肌で感じていたので。

ーなるほど。ご自身で失敗を経験されていたのは強いですね。もしその経験が無かったら、大学を卒業してすぐに会社を立ち上げていたかもしれませんよね。

そうですね。飲食店はやっていたかもしれませんね。

それまで昇り調子だったところからの、店長になったお店が潰れるっていう経験は、学生にしては結構痛かったですね・・・。

ーそうですよね。学生だとせいぜいバイトでヘマをやらかしたとかくらいで、お店が潰れるっていうのはなかなか経験できる失敗じゃないと思います。それで大学卒業後は普通に就職されたんですね。

はい。経営を学びたかったのでコンサルティング会社に入りました。

ー壮絶な営業戦士時代が始まるわけですね・・・(笑)

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365日働き続けた壮絶な下積み時代

ー新卒で入った会社には何年いたんですか?

6年くらいいました。体力的に一番しんどかったのが最初の2年、精神的に一番きつかったのが最後の2年、真ん中の2年は遊んでしまいました。

最初に入社して感じたのは、僕も一応大学ではエースで4番だったんですけど、会社に入ってくるのはみんなエースで4番なんですよ。同期たちには、頑張ったらまだ何とか勝てるかなと思っても、2年生3年生たちにはメジャーリーガーがいっぱいいて、とても勝てる気がしませんでした。

「1,2年でこんなに差が開くのか!」と思って・・・とりあえず3年はやってみようと決めたんです。あと僕の尺度で「間違っている」と思っても先輩の方が優れているので、3年間は全部イエスって言おうと決めました。

ひたすら「生嶋、あれやれ」「イエス」「あれやりたいか?」「イエス」って言っていたので・・・最初の3年間はめちゃくちゃ仕事ありましたよ(笑)

ーそうなりますよね(笑) 営業成績はどうだったんですか?

全国の同期150人中、2位でした。

ー凄いですね。エースで4番が集まった中でも、そこは本当に勝てたんですね。

それもイエスって言っていたからだと思います。他の同期と比べて、仕事の量が半端無かったですから。同じように仕事をしていた、同じ部署の隣の席の子が全国1位でした。

ー業務にコミットしまくっていたんですね。

目の前のことを、がむしゃらにやっていました。

僕らの部署は古き良き体育会のニオイもあって、会社は9時始業なんですけど、うちだけ朝8時に来ないといけなかったんです。そして夜は、上司が帰るまで帰っちゃいけなくて。

でも19時くらいから電話をかける営業先もなくなってくるので、そこから22時くらいまでは時間を繋ぐ必要がありました。その時に、コンサルティング会社だったのでいろんな経営に関する本やビデオがあって、ずっと見ていました。

それで22時から24時にかけて、コンビニのオーナーが仕事をし始めるので、またコンビニ向けに仕事の電話をかける(笑)

ーその時、他の部署の人たちは何をしていたんですか?

他の人たちは終電で帰って良かったので、帰っていました。僕たちの上司は「電車じゃないと帰れないところに住むな」という考え方だったので、終電という概念がないんです(笑)

いつもその隣の席の同期と一緒に鍵を締めて出たり、寝袋で寝たりしていました。

ー15年前くらいですよね。当時だからできたというか・・・今思えばそういう経験ができて、ラッキーだった感じはしますよね。

そうですね。僕にとってはそれが社会人の基準になりました。「社会人ってテレビを観る時間がないんだ」とか、月曜日から土曜日は普通に仕事をして、日曜日は溜まった仕事を片付けるものだと思っていました。

大晦日も同期と2人で「年賀」って書いたDMを折っていました(笑)

ーすごい下積みですね。1,2年目でそういう仕事を徹底的にやったんですね。

やりました。やらされたというのが正しいです(笑)

ーでも実際全国で1位、2位という順位が出たので、確実に力はついていたということですよね。

ついていましたね。そういう厳しい上司の元でもあったので、質と量が伴っていたのだと思います。

上司に同行した時は、お客さんの言うことを聞いていませんでした。上司が何をどういう順序で喋っているのか、課題解決のためにどういった提案をしているのかだけを、ひたすらメモっていましたね。

この生活を2年くらいやっていました。良い下積みでしたね。

入学した大学で偶然経営と出会ってから「経営を学ぶ」という目的を持ち、バイトや仕事を人一倍ハードにこなしてきた生嶋氏。

迎えた入社3年目、厳しい環境下でも結果を残した生嶋氏はマネージャーとなり、順調にステップアップしていくが・・・壮絶な体験はまだまだ続く。

-Part2に続く-

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