起業スイッチ

SNSのタイムライン上で再生される料理動画は、今や誰しも一度は目にしたことがあるのではないだろうか。前述の『DELISH KITCHEN』や、美容系動画の『KALOS』など、様々な分散型動画メディアを運営し、現在急成長中のスタートアップこそ、株式会社エブリーだ。

代表の吉田大成氏は2015年までグリーに在籍。躍進のきっかけともなった大ヒットソーシャルゲーム『釣り★スタ』や『探検ドリランド』の生みの親でもある。

グリーで大きな成功を収めた吉田氏の、新たな挑戦について話を伺った。

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同年代より先輩や先生と遊んでいました

—今回のインタビューでは幼少期から今に至るまでのストーリーをお伺いして、吉田さんの「人となり」を知りたいと思っています。元々どういったお子さんだったのでしょうか?

リーダーやまとめ役をすることが多くて、小学校や中学校では生徒会に入っていました。中学校だと生徒会の役員って2年生の後期や3年生の前期に立候補するのが一般的なんですけど、僕は1年生の後期から選挙に出ていました。

—なぜ生徒会に興味があったんですか?

学校全体の課題を、みんなで話し合って解決していくのが好きで・・・。

—え、中1でですか?マセてないですか?笑

なんでしょうね。笑 一人で出来ることには限りがありますし、みんなでやった方が楽しいと思っていましたね。

人の上に立ちたいというわけではなくて、例えば応援団でも団長じゃなく副団長になってサポートしたりとか、みんなで一つのイベントに取り組んで達成感を得たり、熱狂している感じが好きだったんです。

—昔からベンチャー気質だったんですね。ご両親が経営者とかではなく?

普通の会社員です。ただ両親はともにずっと仕事をしていました。母親は洋服のデザイナーで、帰ってくるのも22時とか23時でしたけどそこから僕の宿題を見てくれて、僕が寝た後に小さく電気をつけてまた仕事をしていました。

—小さい頃からご両親の働く姿を見ていたんですね。影響は受けていると思いますか?

すごく影響を受けていると思います。当時女性がどのくらい働きやすい環境であったかは分かりませんが、働くと決めて洋服の学校に通って、自分が思い描いたデザインを形にしようと頑張っている姿や想いを見ていたのは大きかったです。

父親も深夜の1時に帰ってきて、朝は6時に家を出るような働き方をしていました。両親とも仕事に対して真面目ですし、周りからも信頼されているのを見ていました。

—それはまさに、今に繋がっていそうですね。

はい。一方で日々の生活は祖父や祖母と一緒に過ごしていたのですが、祖父はニュースを見るのが好きだったので、バラエティ番組を見る機会がありませんでした。小学校の高学年にもなってくると政治や経済の話をされて「どう思う?」とか聞かれていましたね。笑

祖父は自治会長もしていたので、今思えばそういった体験が生徒会に繋がっていたのかもしれません。

—小学校の高学年で政治経済の話をしているというのはすごいですね。そうすると中学生活はずっと生徒会をやられていたのでしょうか?

そうですね。1年生の時は結局数票差で負けましたが、2年生の前期で選ばれて、みんな3年生の中自分だけ2年生で役員に入ってやっていました。

—なんか、モデルケースのような学生生活ですね。笑

周りの人たちに恵まれていました。先生も「珍しいね」と言って認めてくれましたし。あと中学生の1学年上って考え方も全然違いますよね。その中で学校のイベントをどうしていくか、真面目に話したりする時間はすごく良かったと思っています。

学校が終わっても先生の部屋でずっと話していたり、同年代より先輩や先生と遊んでいました。

—勉強をする感じじゃないですよね。大人とディスカッションしているような。

そうです。話を聞いて、自分が知らないことを浴びせられるのが楽しかったんです。

—めちゃくちゃイケてますね。中学時代なんか鼻垂らして走っていたので、恥ずかしくなります。笑

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方程式をひたすら1から証明し直すことが好きでした

—高校時代は何をされていたんですか?

高校時代は・・・遊んでいました。笑

僕は理科と数学がすごく好きだったので、普通科じゃなくて理数科という理科と数学の時間数が多い学科に入ったんです。そうすると国語や英語の授業中は寝たりして、自分が好きなことしかやらなくなってしまいました。ここで反動が出ちゃいました。

—なるほど。具体的に勉強はどんなことをしていたんですか?

理科は本当に好きだったので、近くの大学と夏場に一緒に研究をやらせてもらったりもしました。例えば跳ね返り係数って世の中の物質は1を絶対に超えないんですけど、どうすれば1以上のものを作れるのか、大学の教授にアドバイスをもらって研究したりしていました。

あとは物理の方程式を1から証明し直すことが好きでした。定義や数式を覚えるのではなくて、どう証明されたかを考えて、何があってもイチから自分で証明できるようにするということをひたすらやっていました。

—探究心の塊ですね・・・。

よく麻雀やトランプもやりましたが、僕、大富豪がめちゃくちゃ強いんですよ。数字、特に確率論がとにかく好きでした。

—でも不思議な変化ですね。中学生の頃は輪を大切にしていたのが、高校生になってからは一人で没頭していく方向に進んでいますよね。

そうですね。白い紙にひたすら数式を書いていくのが、とにかく楽しくなったんです。

あとはファミリーレストランでアルバイトもやっていました。朝5時からモーニングセット用のキャベツを切ったり、卵焼きを焼いたりしていました。

—なかなかハードな学生生活ですね。

両親や祖父からお金を自分で稼ぐことの大変さは聞かされていて、アルバイトをして実際に経験することは良しとされていました。どんなに早く起きて働いても時給数百円しかもらえない中で、参考書を一冊買うのにどれくらいかかるのか、とか考えながらやっていましたね。

—良いですね。高校生活は理科と数学とアルバイトに明け暮れていたと。大学生活はどうでしたか?

大学は名古屋工業大学に行きました。本当は医者になって薬の研究開発がやりたかったんですけど、好きな勉強ばかりやっていた結果、国語や英語ができなくて諦めました。

それでどこに行こうか調べているうちに、理科や数学は好きなので工業系の大学に行って、情報工学をやってみても面白いかなと思い始めました。家にパソコンもなく、化学や生物が好きだったので、それまで情報工学という分野があるのも知らなかったのですが・・・偶然ですね。

—なるほど。情報工学にはその後ハマっていきましたか?

いえ、そんなに。笑 ただ入学した時に全員パソコンを買うんです。そこで初めてインターネットに触れて、ネットにハマりました。

当時定額でネットが使えた夜の時間帯にいろいろなホームページを見たり、チャットで喋ってみたり、麻雀のオンラインゲームをやってみたりして、これはすごいなぁと。大学でもプログラミングの勉強をやるのですが、先行して本を買って、自分でホームページを作ってみたりしていました。

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めちゃくちゃ力仕事していました

—ここでネットにハマったんですね。大学時代も何かバイトはされていたのでしょうか?

はい。高校時代にファミリーレストランで働いてみて「これは割に合っていないんじゃないか」と感じていたので、歩合制のバイトをと思い、ナゴヤドームでビールの売り子をやりました。東京ドームはビールサーバーを後ろに背負えるんですけど、ナゴヤドームは当時ビールを持っていないといけなかったので、男性がやっていました。売り子さんは100人以上いて、毎日売り上げのランキングが発表されて、ランキングによって持てるビールの銘柄が変わるんです。

—面白いですね、ランキングが上がれば売れる銘柄が持てるんですね。

そうです。あとは外野席より内野席とか、ホームの中日側の方が売れたりとか、ランキングが上がるほど売りやすい環境になって、歩合制なので給料も増えていくのが楽しかったですね。

同じ時間の中で、どうすれば人よりたくさん売れるだろうということを考えて。まずビールの缶を開けて紙コップに移さないといけないので、そのスピードで売り上げが変わってくるだろうとか、ビールを欲しがっているか欲しがっていないか、粘れば買うかどうかなどをお客さんの目を見て分かるよう研究したりしていました。

—完全に商売人ですね!ランキングも上がりましたか?

はい、トップまでいきました。人気のある巨人戦であれば試合が始まる16時半くらいに球場が開いて、試合が終わる20時半くらいまでに3〜4万円稼げていました。

—すごいですね。まさか吉田さんがビールを売っていたなんて・・・イメージが全くないです。笑

めちゃくちゃ力仕事していました。「ビールいかがですか!」って声を荒げながら。笑

—売れる仕組みを考えるのが楽しかったんですね。

そうです。いかに効率的に売るかでしかなかったので、それが楽しかったです。

あとは実家の近くに屋外で飛騨牛のバーベキューができるお店があって、そこでもバイトをしていました。採用も担当したり、団体客を入れた方が早いので名刺とパンフレットを持って「忘年会や懇親会にどうですか?」と企業を回って営業もしていました。一度来てもらえばお肉も美味しいですし、景色も綺麗なのでリピーターになってくれるんです。これも楽しかったですね。

—めちゃくちゃ商売人じゃないですか!なんでもできるんですね。バイトでビジネス寄りの思考が鍛えられていますね。

そうですね、ビジネスは好きでした。そのお店でもどうすれば経営が安定するのかを一緒に考えさせてもらったりしました。

—そうすると結構ハードにバイトをしつつ、大学院まで行かれたんですよね?

はい。野球は春から夏ですし、バーベキューもメインは夏なので、実は秋から冬は暇なんですよ。なので春夏で1年分を稼いでしまって、秋冬は名古屋のベンチャー企業に行って、どうすればプログラミングで食べていけるのかを見せてもらったりしていました。

あとは研究室が積極的に企業と共同研究をやっていたので、自分たちの研究をどう製品に合わせるか、ということに取り組んでいました。

—いつの間にか、どっぷりビジネスの世界に浸かっていますね。

そうですね。僕の研究の領域は「暗号化」だったので、セキュリティのための画像の暗号化などを行っている企業とご一緒したりしていました。

大学院に入ってからはモバイルの通信を行うプロトコルの研究をしていて、アドホックネットワークと呼ばれる端末と端末で通信し合う技術を用いて、例えば車と車で通信し合って情報を伝達するということをやっていました。

—どこでどう使えるのか全然イメージが沸きませんが・・・。

例えば高速道路は車が連なっているじゃないですか、そこで「何十キロ先で事故が起こりました」とか、渋滞情報とかを車を伝って知らせたり。あとは街から情報を発信してもらえれば、走っている車のカーナビで近くのイベント情報が見られるといったイメージです。当時はスマートフォンもありませんでしたから。

—なるほど。今スマホで見ているような情報を、車を通して送ろうとしていたんですね。

そうです。他にもKDDIさんと共同研究をやっていました。当時愛知県で万博が開催された際、今でいうスマートフォンをKDDIさんはすでに作っていて。まだガラケーの時代ですけど、Windowsとガラケーを合体させた試作機で、万博のコンパニオンさんがこの端末を使って案内したりしていました。

僕たちはこの端末を使って、ネットが無くても端末間で通信し合って、チームで宝探しをするという企画をやりました。万博会場でチームを作って、鍵が送られてきて、離れていてもチーム同士でチャットをしながら謎を解いていくんです。

—面白いですね。モバイルを使った宝探しゲームなんて、グリーでやられていたことと完全に繋がりますね。

そうなんですよ。グリーでゲームを作っていた時に「そういえばこんなことやっていたな・・・」って思い出しました。

まだiモードが出始めたくらいでしたが、モバイル端末が実用化されたらすごいことになると思っていたのが、ちょうど大学院生の時ですね。

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横でプログラムを書いてみたいと思ったのが転職の理由の一つです

—大学院を卒業後はヤフーに入られたんですよね。

そうです。周囲は自動車系やメーカーの研究職に進む人が多かったのですが、自分が作ったものが製品化されるかも分からなかったり、されるとしても5年10年かかるような世界に対して、ネットならすぐにインパクトを与えられると思ったので、ネット企業に行こうと決めました。とはいえ名古屋だとどんなネット企業があるのか分からなくて・・・一番大きなヤフーを選びました。

—なるほど、違和感ないです。

特にモバイルの取り組みに関わりたいということで入社しました。でも実際に入社後はPC周りのサービスを開発することになりました。笑

—気持ち的にはどうでしたか?

こんな大規模なサービスはもちろん作ったことがなかったので、楽しかったですよ。終電が過ぎるまで会社にいて、いろいろなサービスのソースコードを見て「こういう風に作っているのか」と。まだパソコンのスペックがそこまで高くない中で、処理スピードを上げるためにどういう工夫がされているのかとか、面白かったですね。

当時は新卒でヤフーに入ると何年か同じサービスを担当することが多かったのですが、僕は複数のサービスを担当させて頂けたので、いろいろなサービスのユーザー数やアクティブ率、書き込み数や売り上げなどを見ることができました。どんどん新しい仕事をもらって、数値を見させてもらえたので、どこで何がどう動いているのか把握できたのがすごく良かったですね。

—お話を伺っていると、探究心が強いですよね。別に閲覧の権限があっても、仕事に直接関係のない数字は見ないという人がほとんどじゃないですか。学べるものは全て学ぶというスタイルですよね。

数式をそのまま覚えるのではなくて、事業でも売り上げがいくらで利益がいくらでだけじゃなくて、その裏側に何人のユーザーがいて・・・といった感じで分解していくのが昔から好きなのだと思います。

—そのような環境にありながら1年半でグリーに転職するわけですよね。きっかけはなんだったのでしょうか?

ヤフーに入って半年くらいの時に、グリーのCTOの藤本さんと勉強会で知り合って。当時から藤本さんはエンジニア界で神と呼ばれていたので、「すごいすごい!」って興奮しました。藤本さんの横でプログラムを書いてみたいと思ったのが転職の理由の一つです。

あとはヤフーに入った頃から、自分でサービスを作りたいという想いが芽生えていました。そしていろいろなベンチャー企業があるということを知って、会社を作れば自分のサービスを運営できるんだというところから、起業に興味を持ち始めました。社長になりたいわけではなくて、やりたいことをやるためには起業だ、という感じですね。なのでまずはベンチャーに入って、自分がどこまで出来るのかチャレンジしてみたいと思ったのが、もう一つの理由です。

—なるほど、起業願望があったんですね。グリーも最初はエンジニアとして入社したんですよね。

そうです。藤本さんの隣に座って・・・厳しく指導頂きました。笑

圧倒的な差を感じるんですよ。ペアプログラミングといって横に並んでサイトを作るんですけど、僕がやったら1週間くらいかかるであろうことを藤本さんは2,3時間で終わらせるんです。

—そんなに差が出るんですね。

僕が考えたサイトの概要を伝えると「なるほどねー」と言いながらホワイトボードに図を描き始めて。20秒ほどすると「分かった」と呟くやすごい勢いでプログラミングを始めて・・・何をしているのかなぁと思いながら自分の作業をしていたら、3時間くらいで立ち上がって「出来たから、あとよろしく」って。笑

—めちゃくちゃカッコイイですね。当時は藤本さんのように技術を極めていきたいと思っていたのでしょうか?

元々は思っていました。でも藤本さんと一緒に働いてみて、絶対無理だと思いました。笑

こういうスペシャリストがいるのだということを知れて良かったです。

ふとしたきっかけからネットに魅了され、ヤフーを経たのち、将来の起業という夢を持ってグリーに飛び込んだ吉田氏。厳しい環境の中で揉まれながらも、ついにグリー躍進の大きなきっかけとなったヒットタイトル『釣り★スタ』を生み出していく・・・。

Part2に続く

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