起業スイッチ

「日々お客さんを迎え入れて、楽しんで帰ってもらうだけですね」

満面の笑みを浮かべてこう語るのは、2010年に起業後、現在銀座でイタリアンレストランを2店舗経営する、株式会社フェリーチェ代表の青池氏。

実は青池氏、起業するまでは飲食業とは全くの無縁。新卒でリクルートに入社すると、トップ営業として活躍した後、新規事業の立ち上げも任されるなど、同社で7年間バリバリのビジネスマンとしてキャリアを積んできた人物だ。

組織を率いて、事業拡大に全精力を注いできたリクルート時代を経て、冒頭の言葉通り、目の前のお客さん一人一人と向き合っていく道に辿り着いた青池氏に、その心のうちを聞いた。

青池さん1-1-min

幼い頃から食で商売がしたかった

ー青池さんが飲食の事業を始めるに至った原風景って、幼少期の頃からあったんですか?

そうですね、父方の実家が新潟で料亭をやっていて、年に1,2回里帰りするタイミングで美味しいものを食べさせてもらっていました。母方の実家も農家で、お米をもらったり野菜をもらったりという環境だったので、幼い頃から食に近いところにいました。

小学校の文集にも「将来の夢は料理人」って書いていましたね。

ー実際に料理するのも好きだったんですか?

好きでした。学校の調理実習では率先してメニュー決めて作っていましたね。

家でも中学生くらいから、母親が料理するのを手伝っていました。休みの日とかに、母親が作れない料理を作って家族を喜ばせるっていうのが楽しくて。

料理で商売をしたいなというのはその頃からありましたね。

ーなるほど。ただ料理が好きというよりは、料理で「商売」がしたかったんですね。

そうです。父方の実家が店を構えて、料理で商売をしているのが格好良かったんですよ。

曾祖父の頃から続いている、食べ物屋さんのにおいが染み込んだお店で、そのにおいも心地良くて・・・この体験がなかったら、今この仕事をやっていないと思います。

ーイタリアンをやろうと思ったきっかけは何かあったんですか?

当時母親が作れなくて、かつ比較的簡単なのがパスタだったんです。

20年前の富山の田舎で、パスタなんか食べたことがなくて、でも料理雑誌には載っていて。それで作ってみたら家族が「うまいうまい!」って食べてくれたので、それからイタリアンを作り始めました。

実際にイタリアンのお店に行ったのは、東京に出てきてからでしたけど(笑)

ーなるほど、良いお子さんだったんですね。高校卒業後は早稲田大学に進学されたんですよね。

そうです。高校3年生で進路を決める時に、イタリアンのシェフになるためにイタリアに行くか、大学に進学するかで悩んで。親にも相談した末に、進学することにしました。

ー高校卒業時にはすでに「イタリアンのシェフになる!」ってスイッチが入っていたんですね・・・あれ、でもその時はまだお店で食べたことなかったんですよね。

そうですね(笑)

ーそれでイタリアに行くっていう発想もすごいですね(笑)

イタリアに行くのが一番の近道だと思っていました。その頃からずっと想いは変わらなくて、実際に31歳でイタリアに修行に行きました。

青池さん1-2-min

起業を見据えてリクルートに入社

ーその夢を持ちながらも大学に入って・・・大学では何をされていたんですか?

大学に入ると・・・一旦料理への気持ちが薄れるんですよ。誘惑が多いので(笑)

スキーのサークルに入ったんですけど、当時スノーボード人気が高まっていたので、自分がリーダーになった時にスノーボードのサークルに変えたり・・・まぁチャラチャラしていました(笑)

でも2,3年頃から将来を意識し始めると料理熱も復活して、イタリアンのダイニングバーでバイトを始めました。

あとは当時テレビも好きだったので、テレビ局でもバイトをしたり、食からちょっと拡げて、衣食住に関わりたいなという想いも出てきたのでアパレルの販売もやったり。

いろいろやったんですけど・・・でも結局その時はどれも自分の生きる道には直結しなくて。飲食も当時はそこまで引き込まれなかったんですよね。

昔から料理で商売をしたいと思っていましたけど、それで飲食業界に入るっていうよりは、その時はどちらかといえば商売の方。自分で事業をやりたい、起業したいという想いが強くて、だったらまずはベンチャーに入ろうと思って、紆余曲折あり新卒でリクルートに入りました。

ー起業したくてリクルートに入ったんですね。入社後は何の事業を?

営業をさせて欲しいというのと、将来起業のために経営者に会えるところという希望を出して、FNX(FAXの一斉同報サービス)の事業部に配属されました。入社前には知らなかった事業でしたけど、業界関係なく社長にも会えましたし、ビンゴでしたね。

市場的にも活気がありましたし、当時はFNXだけじゃなく周辺のメディアもいろいろと売れたので、FNXの営業でアポに行っても、この顧客の課題はこっちの方が良さそうだとなったら別のものを売ったり、もっと大きな話になって「ホームページ作りましょう」とかもありました。総合マーケティングでしたね。

青池さん1-3-min

全然売れなかった「暗黒の1年半」

ー楽しそうですけど、新卒でそのプロダクト扱うのきつくないですか(笑)?

きついですよ!だから全然売れなくて・・・。当時タクさんっていう関西弁の上司がいたんですけど、ずっと「不良債権」とか「給料泥棒」とか言われてました(笑)

でも同じグループにいた同期は、仕事の飲み込みも早く、売れていて。暗黒の1年半を過ごしました・・・。

ー1年半も売れなかったんですか、長いですね。1年半後に何が訪れたんですか?

たくさん新人が入ってきたんですよ。突き上げです。結局環境なんですよね。

当時は僕と同じく売れない新人が数人いて、「お前も売れてないよね、俺もなんだよね、まぁいいよね」みたいな(笑)

仕事はすごく真面目にしていましたけど、電話帳の上から電話するような要領悪い新人だったので、アポも取れないですし。

そこに新人たちが20数人入ってきたんですけど、その代は今起業して大活躍している人たちも多くて。そんな優秀な新人が一気に入ってきたので、めちゃくちゃ競争が激しいんですよ。入って1,2ヶ月で、2年目を追い越すくらい売れるやつも出てきて・・・僕はストレスで帯状疱疹が出ました。

ーでも、そのプレッシャーで火がついたんですね。

そうですね。「これはまずい!」と。競争意識というよりは「恥ずかしい思いをしたくない!」っていう感じですね。

2年目からはリーダーになるんですけど、売れてないのに新人に同行とかキツいですよ。かたや隣のグループの同期はめちゃくちゃ売れていて、そしたら新人たちは彼に同行してもらいたいってなりますよね。

ーキツいですね・・・。その時はもう事業をやりたいっていう想いはなかったんですか?

その時はもう無いですね、目の前のことに必死で(笑) 数字作れないやつが事業やりたいなんて、ちゃんちゃらおかしいよねっていう感じです。

ーなるほど。「俺は事業作りたいから営業なんて別にいい!」ってなったら腐っていくじゃないですか。そうじゃなくて、ちゃんと目の前のことをやれていたんですね。

自ら「暗黒の1年半」と語る苦しい時期を乗り越えて、ビジネスマンとして活躍を始めた青池氏。

その後は新規事業の立ち上げも任されるなど、将来の起業に向けて順調にキャリアを積んでいく。

-Part2に続く-

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