起業スイッチ

【Part1】「世の中はいい事ばかりは起こらない。大概悪い事が起こると思っています」スマートソーシャル代表・酒井氏の40代から起業した話

2011年に設立後、大手から中小まで様々な企業にエンジニアを紹介するヒューマンリソース事業や、企業とのユニークなタイアップ企画を手がけてきたスマートソーシャル。

20代での起業も少なくない近年において、代表の酒井氏は40代で当社を立ち上げた珍しい起業家だ。

田舎の高専生であった酒井氏は、そのまま地元でエンジニアになる道を捨て、憧れていたリクルートに入社。しかし入社後は、想像以上にハードな日々が待ち受けていた・・・。

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超体育会系の部署で過ごした新人時代

ー念願かなってリクルートに入社されたわけですが、酒井さんはどんな新人だったんですか?

今振り返ると能書き先行で、非常に生意気でした。そしてまったく売れない新人でしたね(キッパリと)

最初の配属は、NTTから電話回線を借りてリセールする事業部でした。

僕が入った時は「社運をかけた大型新規事業であった通信事業の曲がり角で新規営業をやめようか」となっていたタイミングでした。リクルート事件も世間を席巻していたので、電話営業をしてもガチャ切りどころじゃなくて怒鳴らたりしました。

あとリクルートの営業力は凄まじいので、先輩が当り尽くしていて、どこにあたっても大概営業されてしまっている。

ーなるほど、それは難しいですね・・・。

当時は社内環境も凄くて、事業部長が、後に杉並区立和田中学校で東京都初の民間人校長を務められた藤原和博さん、次長が新規立ち上げならこの人、と呼ばれ「とらばーゆ」、「ガテン」立ち上げに携わられた松井隆さん、直属の上司が明治の応援団出身の道上さんという伝説の方。入社初日から導入研修を辞退してそのまま営業に行かれ、その日から連続受注記録を樹立された方です。今思うとすごい環境だなあと(笑)

当時社長の江副さんは「企業はどういう人を採用すべきですか」と聞かれたら「体育会です」とか「応援団です」と言っていましたけど、そのロールモデルとなった方々ばかりです。

入社の最初のキックオフで応援団出身の人たちが現れて、太鼓叩いたりホラ貝吹いたりして・・・あんまり普通には経験できないと思います(笑)

ーその異常な方々から、営業の技を伝授されていたんですか?どういうマネジメントをされていたのでしょう?

そうですね、それこそ朝から晩まで付きっきりで教えてくださるんですけど・・・教え方が情熱的というかちょっとハードでしたね(笑)

伝説の営業マンUさんという方が僕の教育担当だったんですけど、もう小説かドラマというか・・・「俺は中学から世帯主としてずっと稼いでいたんや」みたいな、今まで聞いたこともないような体験談や人生訓、覚悟を日夜ご教授いただいてました。自分自身いかに甘い人生を送ってきたのかとその時は自省しました。

Uさんはじめ先ほどの上司の方々や先輩の事を、古いリクルートの方は必ずやご存知です。自己紹介の時にその事をお伝えするだけで、ぐっと距離が縮まります。その事を含めて、本当にお金じゃ買えないいい経験をしたと思います。

後日談ですが、四半世紀経って人事の人と当時の話した時に「酒井くんの周辺はヤバかったから、さすがに辞めると思っていたよ」と(笑) それならその時フォローしてくださいよーとは思いましたが(笑)

ーなるほど(笑) その中で力を付けて、着実に成長されていったんですか?

着実ではなかったですね。先輩の要求レベルに全然達しなかったです。

結局その事業部から異動して、僕は半年後にFNX(FAXの一斉同報サービス)の事業部に異動しました。

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先輩のサポートを受けながらゆるやかに成長

ー異動後はどうでしたか?

そこでも売れなかったですね。新規商品のプリントの立ち上げのチームに配属になったんですけど、1年間売れませんでした。目標未達とかのレベルじゃなくて、受注がゼロ・・・。

プリントは出来たばかりなので、先輩たちもどう売って良いか分からなくて、みんなで毎日悩んでいるような環境でした。自分もどうなるか分からないけど、そもそもこの商品がどうなるか分からないという不安の中での1年間は、長かったですよ・・・。

ーそれはキツいですね・・・。そんな中でどのように過ごされていたんですか?

日々悶々としていましたけど、恵まれていたなと思うのは、FAXの同報を売っている営業の人たちが優しかったので、ネタがあったら紹介してくれるんですよ。

オールアバウトの社長の江幡さんも先輩で、よく商談に連れて行ってもらったり、受注になるように案件を寄せてくれたり、本当に温かかったですね。

ー良いですね。なかなか結果のでない新人時代を過ごされていますが、いつ頃から開花していくんですか?

1年かかって通い続けた大型受注が決まって、ようやく会社や社会に貢献できたかなと思えました。でもそのタイミングで、プリントから同報のサービスに異動したんですけど、そこでもまた鳴かず飛ばずの日々でした。

その後、3年目で大阪に異動になったんですけど、その時の上司の辻本さんのご指導のおかげでその頃から何となく自分でPDCA回して、考えて結果を出せるようになりましたね。それまでは、ただ無我夢中にやっていた感じです。

ちなみに大阪のチームに入ってきた小西君という新人がいて、僕の営業リストを一部譲ったら、その中で最初のアポを取って「同行してください」とお願いされまして。同行して行った先の担当者が、今の妻です(笑)

ーご縁ですね。リストをあげなければ、また違う人生になっていたかもしれないわけで・・・小西さんに感謝ですね(笑)

そうですね(笑)

ーでもやっぱり立ち上がるためには、3年くらいかかるんですね。時代の変化もありますけど、今の若い人って「早く結果を出さないと!」って急いでいる人も多い気がしますが、スキルアップしていくのにはそれなりの時間がかかるということですね。

社会人が一人で立ち上がるのには、3年くらいはかかりますよね。

よくネットの情報が全てだと勘違いしがちですが、ネットに載っている話は極端な成功談話や、挫折体験です。

実際は、例えば3年目の頃に紹介してもらった人の縁で受注が決まって、徐々に結果が出始めるとか・・・そういう派手じゃない、ゆるやかな成長も多々あると思います。むしろコツコツやってる日常に真理があるというか。

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自ら提案して新規事業を立ち上げる

ー大阪に異動した3年目くらいから、徐々に立ち上がってきたということですが、周囲の環境も良かったんですか?

そうですね。大阪の先輩たちは、先ほどの辻本さんをはじめ今でも一線でご活躍される方が多い鍛えられる部署だったので、学びは本当に多かったです。

あと新人の小西君もセンスが良いので、めちゃくちゃ売るんですよ。リクルートの打ち出している「自分より優秀なやつを採れ」というのは本当に名言で、後輩がセンス良いというのが一番組織が活性化しますね。

ーそんなスターに囲まれた中で結果を出すために、酒井さんご自身も何か工夫されていたんですか?

僕は人が攻めない、超ニッチなニーズを見つけるのが得意だったんです。

例えば、当時一世を風靡した熱帯魚。あれってアメリカとかアマゾンとかいろんなところから輸入されるんですけど、為替相場で大きく値段変動するんです。そしてそれをいくらで仕切るかは問屋が決めて、値段表をFAXで流すんですね。

そのニーズを見つけて、どこに行けば熱帯魚の問屋のリストがあるかなと考えていたら、子どもの頃近所に熱帯魚屋があって、そこに本が置いてあったことを思い出したんです。

それでその店に行って本を読んだら、発行元の大阪本社が書いてあって、アポを取って行ってみたら、問屋のリストをくれて、そのリストを全部回るっていう・・・探偵みたいなことをやっていましたね。

問屋はねじり鉢巻をして「は?リクルート?なんやそれ!」って言われるようなところで、普通の営業マンはなかなか回っていなかったんですよ。僕は逆にそういうところを、愛されキャラでススっと入っていって営業していましたね(笑)

ー持ち前の愛されキャラが活きていますね(笑) 他にはどんな事業に関わられていたんですか?

その後、デルタ(ボイスメールのサービス)に異動になったんですけど、携帯が急速に普及し始めていたので、これまた厳しかったですね・・・。打ち手がなくて。事業のキックオフもリクルートらしからぬ深刻ムード・・・。

とはいえ売らなきゃいけないので、どう売るか必死に考えて・・・これしかないですということで、震災時の社員の安否確認を行うボイスメールを提案しました。

社員の命を守るためのボイスメールを作りましょうといって事業部長を口説いて、稟議を通して、企画や開発の部署の方々を巻き込んで新商品として立ち上げたんです。

自分で商品名も決めて、売って・・・この時はある意味起業よりも大変でしたけど、仕事がめちゃくちゃ楽しかったですね。

ーその経験はなかなか出来ないですね。20代で自ら旗を振って事業を立ち上げて。

良い経験でした。これが花形事業の、花形部署だったらスタープレーヤーもたくさんいるので、絶対出来なかったと思うんです。

僕は花形部署に行って埋もれてしまうよりも「なんでそんなところに行くの?」という厳しい部署に行って「どうせならやれることをやってみよう」という思いで、出来ることを全部やる方が良いと思っています。

あえて弱い事業部に行くことが、辛い経験をたくさんすることが自ら考えて動くことを学べ、将来的に自分を高めるためのきっかけになると考えています。

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価値があるものを拾って世の中に出していきたい

ーリクルートを卒業された後は、オリコン、サイバードを経て40代で起業されたんですよね。

はい、サイバードの仲間と作ったのがスマートソーシャルです。

ー起業の時はどういった想いがあったんですか?

価値があったり能力があったりするのに、見つけられていないものってあるじゃないですか。そういったものを、発掘というと少しおこがましいですけど、拾い上げて世の中に出していきたいと思っていました。

それで2011年にスマートソーシャルを立ち上げて、エンジニアを派遣する仕事を始めたんです。

日本の優秀なエンジニアは世界にも通用すると思っています。能力がありながら十分に実力を発揮できていないエンジニアさんたちに活躍の場を紹介しながら、日本初のコンテンツを押していきたいと思っています。

オリコンに行って良かったんですけど、日本の美と健康を、うちはタレントを使ったりしながら打ち出していきます。

ー楽しみですね。酒井さんが今後の人生でやっていきたいことって何なんでしょうか?何を目指して走られているのかお伺いしたいです。

やはり、価値がありながらも見つけられていないものがあるということがずっと引っかかっているので、その価値を世に出していくというのは、人生を懸けて取り組みたいテーマですね。

あとは僕も良い歳なので、若い方々を中心にやってもらえるような仕組みを作ること。うちの会社はインターン、バイトから就職してくれるケースが大半で、社員の半分が新卒や、第二新卒なんです。将来、起業を見据えて修行している社員もいます。

賛同してくれて、中長期で一緒にやっていける仲間を増やしていきたいですね。

ーありがとうございました。

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酒井氏の口から語られるストーリーは、決してエリートの成功体験でも、壮絶な失敗体験でもない。

昔から主体性なく、ネガティブな思考が強いタイプで、能力も平均的。夢や希望に溢れ、起業に対して強い意志を持っていたわけではないと言う。

それでも酒井氏は常にありのままを晒し、楽しそうにその全てを語る。そして酒井氏だからこそ語れるその体験談は、若者たちに新たな生き方の選択肢を提示する。

これは、ゆるやかに成長を続けて40代で起業にたどり着いた、一人のごく普通の男のストーリーである。

-END-

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