起業スイッチ

導入

2015年に設立し、主にマーケティングオートメーションやSalesforceなどのコンサルティング、導入・活用の支援を行うtoBeマーケティング。

代表の小池氏は学生時代に起業し、一度は若手実業家として7年間会社を経営するも倒産。

全てを失った状態からリクルートに入社して再起を果たすと、新たな夢を抱いて、2度目の起業で当社を設立するという、濃密なバックグラウンドを持った起業家だ。

唯一無二の壮絶な体験を乗り越えてきた小池氏が、これから目指すその先について、お話を伺った。

小池さん0101-min

コピーライターを志すも受験に失敗して挫折

ー小池さんは元々経営者になりたいと思っていたんですか?

経営者になりたいとは・・・昔は全く思っていませんでしたね。

僕、中学は平均偏差値が42くらいで、大学に進学するのが学年で500人中10人くらいの公立の学校にいて。何となく友だちと一緒にそのまま地元の高校に進んで、卒業したら就職するんだろうなと思っていました。

それが当時、おニャン子クラブが流行って、秋元康さんという方が作詞しているというのを知ったんです。それで秋元さんの書いた本を読んでみると、少しずつ作詞家やコピーライターという仕事に興味が沸いてきたんです。

あとは「元気がでるテレビ」に出ていた川崎徹さんとか、糸井重里さんにも影響を受けて・・・将来はコピーライターになりたいと思っていましたね。

ー中学生でコピーライターですか、大人びてますね。

それで「コピーライターになりたい」と先生に言ったら「それなら良い大学を出て<電通>に入らないといけない」と言われて、勉強を始めました。

でも大学受験で志望していた大学に落ちてしまって・・・諦めてしまいました。

ー大学時代は何をやっていたんですか?

学校には全く行かなくて、稼ぎたかったのでバイトばかりやっていました。

実は大学2年の時に交通事故を起こして、新車で買った車を廃車にしてしまって。でも車が欲しかったので、もう一台買って、ダブルローンをして・・・学生ながらに借金地獄だったんです。笑

バイト先の倒産をきっかけに学生起業

ー小池さんは大学時代に一度起業されていますよね。きっかけは何だったんですか?

車の借金を返し終わってしまうと、少しずつお金が貯まっていって、貯金が200〜300万円くらいになった頃に、添乗員のバイトをしていた旅行会社が倒産してしまったんです。大学3年生の時でした。

それで学生でしたけど、バス会社やホテルからの借金の取り立ての対応をしていたら、その倒産した会社の社長が「いろいろごめんね」って言って、お詫びにくれたのが、約12年間分の顧客カルテだったんです。

最初は「ふざけんなよ」って思いましたよ。笑

ーすごいエピソードですね。笑

でもよく見てみたら「○○工業、1985年金沢、1986年ソウル、1987年札幌・・・なるほど、この会社は毎年社員旅行をしているから業績が良いんだな」とか「この会社は毎年温泉旅行なんだな」とか、何となく全部の会社の旅行の状況がわかってきて。

そんなデータが倒産するまでの1992年まで続いていたんですけど、来年の1993年の社員旅行はどうするんだろうっていう会社が、40,50社あったんです。

それで「きっと来年以降も社員旅行に行くはずだ」と思って、社員だった人と2人で回ったら、半分くらいの会社で本当に「困っているからやってよ」と言われて、貯めていた300万円を資本金にして、有限会社を作ったんです。

ーそんな流れだったんですね。2人で作ったんですか?

いえ、もう一人はそこまで乗り気じゃなかったので僕と、あとその会社で事務をやっていた女の子の2人で作りました。当時はネットもないので本屋に行って「会社設立の方法」という本を買って読んで、自分で役所に手続きをしに行って。

1年目から、20社くらいの社員旅行を担当させて頂きました。

元々起業しようと思っていたわけでは全くなくて、たまたま働いていた会社が倒産して、社長が顧客カルテをくれたので会社をつくった、という流れですね。

ーでもそのカルテをただのゴミだと思わず、ちゃんと使ったのが良かったですよね。

あれを見たら使いますよ。どう考えても「来年の社員旅行どうするんだろう」って思いますもん。

小池さん0102-min

絶頂から7年で倒産、28歳にして全てを失う

ーその会社は何年間続いたんですか?

7年やりました。今思うと、7年間会社が続くというのは結構凄いことだなと。笑

当時は社会人をやったこともないし、ビジネスの経験もないし、目標とか社員のモチベーションコントロールとかももちろん分からなかったので、時を戻せるならやり直したいことはいっぱいありますね。

ー社員は最大で何人くらいまでいったんですか?

最初は旅行業から始めて、5年目からは飲食店も始めたんですけど、旅行業で12人、飲食店の従業員も含めると最大で40人くらいになりました。

でも今思えばダメダメでしたよ。ビジョンとか戦略とか全く分からなかったので、社員は簡単に辞めていきました。

社員が自分の会社でどんな思いで働いているかとか考えたこともなかったので、辞めるといわれても悲しくなかったですし。

ー社長というよりはプレイヤーだったんですか?

完全にプレイヤーです。「この案件獲ってきたから請求処理しといて」って感じで振って・・・社員からしたらつまらないですよね。

中間管理職みたいな人もいませんし、そもそもそんな手法で人をモチベートするなんて考えたこともありませんでした。本当に最悪だったと思いますよ。笑

ー終わりはどのようにして訪れたんですか?

一応、青年会議所(JC)に入って、いろんな経営者の方にもお会いして経営の勉強みたいなことはしていましたけど、それでも未熟でしたし、景気も悪くなっていたので、徐々に旅行業の方の業績が苦しくなっていったんです。

社員もだんだんと減っていって、結局旅行業の方は4人くらいになってしまって。飲食店の方は良かったのか悪かったのか、今でもあまり思い出せません。まさに“水商売”なので、儲かるとパーッと使っていました。そんな感じですから徐々に先細っていきました。

最終的に借金が400,500万円くらいになって、まあたいしたことないと言えばたいしたことないんですけど、毎月30万円ずつ借金が上積みされるような状態になりまして・・・精神的に厳しくなって辞める決断をしました。

若いと調子にも乗っちゃうんですよね。青年会議所とか入ってお金持ちの人たちを見ていると勘違いしてしまって、金持ち風に見せたいというのがあったので、車もアリストV300とか買って・・・今思うと、そんな会社に旅行を頼みたいとか思わないですよね。

ー当時いくつですか?

28歳ですね。

ー早いですね。28歳で一通り終えた感じですね。笑

その時は離婚も重なったんです。

家族もいなくなって、会社もなくなって、お店もなくなって、車もなくなって、マンションもなくなって、借金だけが残って・・・これ以上辛いことはあまりないなっていう状況でした。

ーものすごい急降下ですね。

はい、急降下半端ないですよ。社長って言われてチヤホヤされて、同級生の中でも起業している人なんていなかったので、地元では青年実業家みたいに言われていたところから、一気に落ちましたね。

一度は誰もがうらやむ成功を掴むも、会社の倒産によって一気にどん底に突き落とされた小池氏。

しかし腐ることなく新たな一歩を踏み出すと、ここからtoBeマーケティング設立に繋がる、小池氏の第二の人生が幕を開ける。

-Part2に続く-

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